訊きまくり癖で得することもある

むかし「ソクラテス」の授業直後、相前後して二人の賢者に出会った。

歎異抄の「善人なおもて往生 す、いわんや悪人をや」って、どういう意味?>
自分は仏の教えを理解して正しいことをしていると思っている偽善者でも、仏門に入ることが出来る。ましてや、無知が故に他人の痛みに気付かない己の悪を自覚して、正しいことをしようと努力している人が、浄土に行けないはずがないということです。

<山上の垂訓「心の貧しき者は幸いなり。彼は天国を見ん」って変じゃないですか?>
「心が貧しい人」とは自分が罪人(つみびと)であると自覚している人です。謙虚に神様の声を聞き、正しい者になろうと努力している人を指しています。


…なぁんだ!両方とも「無知の知」じゃん☆つまり「傲慢になっちゃダメ」って事だよね?これが、宗教の原点か〜と思った。以後信仰心の篤い人の話には耳を傾けることにした。おかげで、単にたくさん寄進して自分だけが極楽もしくは天国に行くつもりのアリョーナ婆さんや、狂信的に信仰を押しつける大審問官を見分ける楽しみも出来たよ(^0^)/


小学生になりたての頃、お話の時間に「蜘蛛の糸」を聴いたときからず〜っと、犍陀多にはなるまいと思ってた…今は、ゴクリになりそうな予感(O.O;)(o。o;)
「傲慢と執着」が罪(悪)の起源だと思うし、宗教紛争もそこから来ているような気がする。それを利用する権力者(国)の醜悪さは、無間地獄へまっしぐらだぞ★…と他人をののしるのも、ヤバイのかも(Brrr)